スポンサー様一覧

株式会社ラクネット

近 靖彦

『【本学と末学】』

人は生まれて死ぬまで学ぶことがたくさんあります。

大きく分けて二つあります。
ひとつは、知識、スキル、資格、受験勉強等のやり方で数字に表したり点数や評価も出来、木に例えると、地上に出て見える部分で、これを「末学」と言います。

もうひとつは、感謝力、人間関係力、倫理、道徳、武士道精神、本を知る、正しい歴史認識等の目に見えなく、木に例えると地中に埋まる根っ子の部分で、これを「本学」と言います。

戦後から日本はどうなりましたでしょうか?

お金の為に働くのではなく、国の為、愛する家族の為に働いてきたのではないでしょうか?

今、日本はどうでしょう?
国の為、会社の為、家族の為にも働かなくなり、和が崩壊し、すっかり個人主義へとなりました。

更には、いじめ、鬱病、自殺大国になってしまいました。

日本は危機です!
企業も、学校も、家庭でも「本学」を置き去りにしてきました。

今こそ、経営、教育の見直しに「本学教育」必要です。

正しい歴史を知る、先人を知る、日本の未来の為に、愛する人を守る為に命をかけて戦った先人を決して忘れてはいで欲しい。

【人は二度死ぬ】
一度目は肉体的死、二度目は人々の記憶から忘れさられた時】

今、日本に必要な事は、「本学」です。
そして今回ご公演頂ける流れる雲よは、圧倒的「本学」です。
そして、立派な社会教育であり、社会貢献でもあると考えます。

是非ご覧頂きました皆様には、ひとりでも多くの大切なご友人にお伝えし、流れる雲よが末永く繋がって行く事を心より祈念しております。

先人、劇団関係者皆様、主催者の平川涼介さんに感謝を申し上げます。

株式会社アド宣通

炭田 恵崇

『たった一度の人生を本気で生きる!』

会社

企業経営を通して、社員の幸せ、顧客の満足、社会への貢献を徹底的に追求し、圧倒的な結果を残す!
個人
関わる全ての人の役に立つ人となる!

 

未来に希望を託し戦線に散った先人たちの思いを、私達と一緒に次世代に伝えていきましょう。

日本コーチカウンセラー連盟会長
(ネッツトヨタ三重株式会社顧問)

津田 紘彰

『八紘一宇』

2011年から5年半、東日本大震災の支援活動に於いて現地で目の当たりにしたのは、極限の困難の中でも見知らぬ人にさえ手を差し伸べ、助け合い励まし合う日本人の姿でした。

天地自然、人も国も宇宙さえも一つの【家族】と成すこと。

初代神武天皇即位の詔で語られた『八紘一宇』の言葉、
世界が混迷する現代にこそ日本がかつての精神性を発揮し世界のリーダーとならなければならない。

 

『流れる雲よ』は私たち日本人の魂を揺り動かし、
戦後77年で失われた【日本人の志】を取り戻させてくれる、稀有な作品です。

 

心より応援申し上げます。

ナルコ株式会社

杉浦 博

『今日一日を精一杯生きる』

とにかく弊社の幹部に見て頂きたい。
私自身、初めて知覧を知ったのは、なんでも鑑定団で鑑定士をしています、北原照久さんの講演を聞いた時でした。当時、南九州市観光大使を任命され、毎年南九州市へ行かれたそうです。その話の中で知覧を紹介し、皆さんに是非行って頂きたいと言われました。

自分もチャンスがあれば何とか行きたいと思っていましたが、中々チャンスがありませんでした。しかし、2016年の夏、大学に行った娘のソフトボール全国大会が、南九州市で開催されるとのことで、何とか知覧特攻平和会館行けるかも、と思いました。そして大会会場に足を運んでビックリ!何と知覧特攻平和会館隣のグランドが会場でした。娘達チームの試合応援後、妻と二人で知覧特攻平和会館へ向かいました。ご存じの通り、沢山の遺書が展示され、語り部のお話も聞くことが出来ました。話の途中、ふと横を見ると妻は顔をグチャグチャにして泣いていました。私はその時、この特攻隊で亡くなった方達のことを、自分だけで留めては駄目だと、そして子供達にも伝えなければいけないと思いました。

 

それから3年後の2019年元日、家族全員で早朝から知覧特攻平和会館へ入館し、子供達に何か感じるもの掴んでほしいと思いました。その年の5月、何と長男から誘われて、パラオへ慰霊の旅をすることになりました。パラオでは不思議な体験もしました。そんなこともあって、主催者の平川さんとは時期は違いますが、同じパラオに行ったり、一緒に禊等も経験してる仲間です。そんな平川さんから「流れる雲よ」講演の話を聞き、家族だけでなく弊社の幹部社員にも是非見て頂き、何か感じる物を大切にしてほしいと思ったので、スポンサーをやろうと思いました。

循環資源株式会社

中西 耕策

『常居其全』

「流れる雲よ」との出会いは4年前だと記憶している。当時18歳だった娘を連れて会場に足を運んだ。戦争がテーマということもあり娘はあまり気乗りしていない様子だった。そういう私も知人に誘われ軽い気持ちで観覧することにしただけで正直あまり期待はしていなかった。

舞台が始まり、話が進むにつれどんどんと引き込まれていった。すぐ目の前で行われる迫真の演技。心が揺さぶられた。感動で涙がこぼれた。ふと隣の席に目をやると娘も涙を拭っていた。つまらないと冷めた目で見ているのではと心配したがそんなことはなかった。帰り道、娘と色々な話をした。舞台の内容についてはもちろん、これまで話したことのない戦争についての話や特攻隊についての話もした。若い子にも伝わるんだな、大人がちゃんと伝えなきゃなと思った。祖国を守るために命を懸けて戦った人たちがいることを大人たちがしっかりと伝えていかなければならないと。「流れる雲よ」にはそれを伝える力がある。是非とも若者をはじめ多くの人に観てもらい何かを感じてもらいたい。

この公演を通じて過去の歴史を正しく知り日本人としての誇りを深める端緒になることを期待しています。公演の開催に当たりご尽力された主催者をはじめ関係者の皆様に心より敬意を表しますとともに深く感謝申し上げます。本公演が盛会となりますことを心より祈念申し上げます。

株式会社リフォーム東海

大平 紘史

『死ぬ事以外はかすり傷』

今回で10回以上上映を鑑賞してるのですがいつ観てもめちゃめちゃ感動出来て、そして人生をもっと一生懸命に生きよう!と思わせてくれる舞台です。初めて観た時に特攻に行かれる方達の想いやその方に関わる家族や友人、恋人の想いに触れ、もっと色々な方に観てもらいたい!特に今現在悩んでいる若者に観てもらいたい!という気持ちからスポンサーになりました!

株式会社シセイ

河村 達生

『一隅を照らす、これ即ち国宝なり』

私たちは誰に育ててもらったのでしょうか。学生の頃に切磋琢磨してきた仲間たちか。社会人になってお互いを高めあってきた同僚や先輩たちか。両親か、両親を育ててくれた祖父母か。

 

80年前、家族のために、のちにこの日本に生まれてくる人たちのために、と、命を賭して戦ってくれた人たちがこの日本にいました。20歳前後の、普通の若者たちです。私たちが今の日本に日本人として生きることができているのは彼らがいたおかげなのです。彼らが戦ったのは、有色人種を劣等な生き物として差別をし、有色人種の国を植民地として搾取し、いざとなれば核兵器を使い、民間人の虐殺までやってのける人たちだったのです。戦っている相手、連合軍、と勇敢に戦い、例え負けるとわかっていても、例え負けたとしても簡単に負けるわけはいかぬという壮絶な大和魂が、連合軍に与えた衝撃は計り知れなく、その気概こそが日本人の誇りであり、連合国から一目置かれる存在になったのだと思います。

 

今生きる日本人はその人たちのおかげで生きていられること、そのご恩を絶対忘れてはならないと思うのです。戦後の占領政策によって、彼らの生き様を知ることが限られ、恩を感じるどころか、ありもしない悪行が喧伝され、自分たちの大先輩である彼らがまるで非道な悪人であるかのようにされてしまったのです。たくさんの書物には、彼らの思いや活躍がしっかりと残されています。しかし、喧伝された嘘の情報に慣らされてしまった日本人が、それらの書物に目を通し、敢えてその思いに触れる人は少ないのが現状なのではないでしょうか。私たちのために命を懸けた彼らの思いが、「流れる雲よ」という作品によって伝えられ、より多くの人たちが知るきっかけになるのであれば、心から応援したいと思うのです。

株式会社ワンダフルライフ

今井 啓敦

『全ては自責!』

昨年も流れる雲よを拝見しましたが、とても素晴らしく感動したことを昨日のことのように覚えております。
大東亜戦争で日本の未来のために、命を懸けてこの国を守ってくれた若者の真実を1人でも多くの方に知っていただきたい、そして正しい歴史認識を広げるお役に立ちたく、この度スポンサーをさせていただきました。

株式会社サンゲル

松田 鷹宏

『勇往邁進』

今、日本は歴史的不況であり
国民の幸福度も58位と深刻な状態にあると思っています。

そんな日本を元気にしたい!
もっと自信に満ち溢れて、人を想う余裕のあるひとたちで活気づけたいという思いからスポンサーの志願いたしました。

株式会社テラピスト

河原 龍秀

『歴史を風化させない』

特攻隊の存在を知り、またその事実、歴史を風化させてはならないと思っていました。そんな折、特攻隊をミュージカルで学べる機会を平川涼介氏から紹介されました。そこでスポンサー募集のお話しをいただき、少しばかりですが協賛させていただきました。

有限会社ブライト

上井 昭

『もっともっと良い国に』

この度私が【ミュージカル流れる曇よ】のスポンサーをやろうと思ったきっかけは、主催の平川さんの気持ちと私の以前からの思いが同方向だと感じたからです。
私は靖国神社の崇敬奉賛会に所属しておりまして、英霊の慰霊と顕彰を大切にしておりました。上映試写会で内容を拝見した時何らかの役に立ちたいと思い今回スポンサーに立候補しました。
戦時中の若者が何を考えてその任務を遂行したのかを現在の方々に考えて欲しです。
【今の日本は良い国ですか?】
私は良い国と思います、、、が、、、もっともっと良い国に変えて行けるとも思います。

株式会社CARCON.

水野 弘之

『使命感』

世界一安全で平和な日本、こんなに恵まれた国で生きているにも関わらずこの国に誇りを持てず、不平不満ばかりで他人に感謝できない多くの人たちに問いたい。あなたたちは今までに少しでも幸せだと感じたことはありますか?今の日常も当たり前だと思っていませんか。現代を生きるそんな人たちに日本人として多くの先人が自分の命を懸けて愛する人たち、家族、この国を守ってくれ今があることを伝えていかなければならない。私たちにできる使命感からです。

株式会社GTS

大脇 伸ニ

『普通である事の幸せ』

前回、流れる雲よのDVD上映を見てとても感動し、今の日本がある一つとして、若くして特攻で亡くなって行った先人たちのおかげであり、その想いを伝えていきたいと思いました。私自身も家族の病気を通じて命の重みや大切さを痛感した経験もあり、現代の日本人に普通である事の幸せを感じで欲しいと常に思っています。このミュージカルを通じてそれが少しでも伝わってほしいと思い、参加させて頂きました。

株式会社サンポーコーポレーション

中村 慎二

『高志低身』

私は特攻隊について、日頃愛読している2013年10月号の雑誌致知に富屋旅館三代目女将鳥濱初代氏の「先人たちの努力の上に私たちの命はある。それを忘れてはならない」の記事を読み、若い彼らがどんな想いで飛び立ち、それを今でも伝えている場所がある事を初めて知りました。それまで義務教育で学ぶ程度の知識しかありませんでしたので、知覧の存在すら知りませんでした。

 

そこで衝撃を受け知覧に行きたいと想いになり、2015年9月に自分だけでなく是非社員にも知ってほしく社員研修として、富屋旅館に宿泊することにしました。研修の出発日、なんと九州と近畿と2つの台風が上陸していましたが進路はセントレア空港からの飛行機の航路に影響なく、鹿児島空港に入ることが出来ました。運が良かった程度で忘れるくらいの出来事ですが、快晴で宿に入った夜中に、台風の余波で部屋の中に雨音が聞こえるくらいの大雨となりましたが、朝5時頃にはピタッと止みました。その時の天気予報は鹿児島県以外、九州は雨マークでした。不思議と感じたのはその時です。そして彼らが飛び立つ朝7時に飛行場の跡地に着いたときには、すこし霧がかった晴天の空の下、彼らと同じ台地に立つことができたのです。

 

この不思議な出来事から「今も彼らはここにいる」と感じ、その感覚を今でも忘れません。私たちは戦争の歴史に触れることは、ネガティブに捉え、目を背けがちになります。しかし彼らから託された想いを知ることで日本人としての生きる勇気と誇りに気付かせてくれます。こういった先人がいたことを、多くの人に知ってほしいと応援する想いとなったのは、知覧での不思議な体験が背中を押してくれている気がしています。

和ごころ茶房咲夢

岡田 雅子

『多くの方へ』

5年前の8月、TOLANDであった宮本達彦さんの世界平和の祭典に参加したとき、一枚のチラシをいただきました。それがその2週間後にあった【流れる雲よ】の公演の案内でした。

 

今、日本はいい国ですか?の言葉に惹かれ、会場に行きました。会場内は呼吸困難になるかと思うくらいの人が座ってみえて、遅く行ったわたしはなんとか端に入れてもらって観ました。狭い会場を役者さんたちが大きく使い、そして迫り来る想い。そんな感動をいただいた舞台でしたが、その後しばらく忘れていました。そしたら3年前に平川くんからお声かけをいただき、今年で3年舞台を見させていただくことになります。何かの協力ができないかと思っていたらスポンサーのお話をいただき、今回微力ながら参加させていただきました。全国で広まっていること舞台、多くの方にいらしていただきたいと思います。

株式会社清風空調

林 清男

『今日本はいい国ですか?』

今日本はいい国ですか?

このフレーズを聞きに毎年この【流れる雲よ】を見に来ています。先人たちの思いがつたわるミュージカルです。より多くの人たちに伝えたくスポンサーになることにしました。これからも、この【流れる雲よ】応援していきたいです。

株式会社フクダプランニング

福田 創

『最高のハッピーを極めるには覚悟が必要』

初めて観た時、本当に感動して涙が止まりませんでした。我々も今まで社会からたくさんのギフトを頂き今があります。人生も半分が過ぎ、今までの様にもらうだけで無く、社会の為、次世代の為に恩送りをしたい!たくさんの方に大切な事を伝えたい!と思いました。

株式会社フタバ造園

名倉 輝光

『唯々感謝あるのみ。』

国や家族、恋人を想い、笑顔で空に飛び立つ先人達の潔い志、靖国神社に眠る246万柱の英霊のお陰で幸せ人生の今がある。唯々感謝あるのみ。

私が尊敬し師匠である今は亡き佐々木将人先生(雅号、乾舟)にご指導頂いた重要なお言葉は下記の通り。核兵器を最初に作ったのは日本人である。“白人に非らんずば人に非ず”の時代、幕末のサムライ達は白人による植民地を肌で感じ、明治維新を断行し富国強兵策から、120%負ける日露戦争を座して奴隷になるよりも、国民が一致団結して勝ち、植民地に苦しむアジアの人々に独立の火を点した、その後アメリカの経済封鎖、対日石油禁輪、、、堪忍袋の緒が切れ、自衛の為大東亜戦争の幕が切って落された。アメリカは物量に物を言わせ、国際法無視の無差別爆弾を各都市に投下、“窮すれば通ず”日本は同盟国ドイツからウランを輸入し、極秘裡に昭和19年春、原爆を開発し。「マッチ爆弾」と名付け、東条首相、杉山陸相が天皇に上申なされた。然し44才の昭和天皇は「例え戦争と雖も人類絶減に通ずる新兵器を使用してはならない。永久に日本歴史に汚点を残す」とお許しにならず、その大御心に軍人達は感涙にむせび、その場に座り込んだ。さらに日本列島を屠殺場の如き絨毯爆撃に加え昭和20年〜広島、9日に長崎に原爆を投下、20万人を超える人々が亡くなられた。この事を知った陛下の胸中を思うと、いかばかりやと言葉を失う。

その後ボツダム宣言を受諾され(八月十五日、終戦の玉音放送)天皇のお言葉により国内、遠くアジア全域の何百万の軍人が一発の銃声もなく一糸乱れず終戦となった事は世界歴史上特筆すべき日本の誇りである。終戦の一ヶ月後九月二七日、マッカーサーと会見し45才の天皇は無私無心(もしや命乞い)のお姿に「神を見た!」と言わしめた。陛下は百万の兵よりも強い武土道のお方であらせられる。更に翌年の二月より九年間、五・六人の無腰の側近を連れて瓦礫の中の国民に敢然と飛び込み共に復興を誓い合いなされた、世界の記者は赤紙一枚で出征し敬華した父や兄、天を亡くした国民が「もしかしたら」カメラを持ってご巡幸の後を追ったが、危害どころか土下座して日の丸の旗を振り涙を流して陛下をお迎え「こんな美しい君民一体の国があるだろうか!」感嘆の限を尽くして報道した。

愛東運輸株式会社

村山 明子

『【一灯照隅】を胸に・・・・』

平川さんの熱い思いを受け、応援することにしました。

数年前に「流れる雲よ」を見たことがあり、大切なことを伝えるミュージカルだと思いました。

以前、孫と一緒に参加しましたが、
次の世代の人たちにも伝えていってもらいたいと思います。

株式会社タム・タム

安藤 治

株式会社Machiuma

稲垣 誠

アールヴィヴァン

大須賀 広士

特定非営利活動法人国際交流センター

折戸 由美

気晴亭

加藤 慎二

加藤 葉子

有限会社大洋舎

桑原 一臣

KGホーム株式会社

後藤 敦司

橋川 公一

合同会社みやこや

日比野 良太郎

合同会社PineBliss

松吉 神壱

峰丸工業株式会社

峰雪 真行

磯 秀司

株式会社ヤマサン

岩田 満

SHINKI

小川 香代子(隆二)

株式会社リバース

筧 一巳

株式会社カトー鋸

加藤 俊幸

株式会社ディライト建設

加納 宏久

有限会社フィレンツェ

小島 祐助

株式会社GUNSHIコーポレーション

社本 徹

株式会社ハセガワ製作所

長谷川 一弘

e.n.corporation

堀 明日香

株式会社ベスト・モア

三木 規翔

株式会社ヨコエ

横江 正己

流れる雲よ名古屋公演

協賛スポンサーを募集しております

当日スタッフ

平川 美奈子

永野 真吾

小川 隆二

大平 絋史

久野 公章

宮田 櫻

小山 創

清水 健太

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小川 香代子

中山 博貴

児玉 実夕希

江口 奈三子

竹内 達哉

松本 尚基

本多 加奈

日比 里果

日比 孝昭

柳橋 里美

住田 恵里

佐々木 靖子

竹端 恵理

橋本 佳奈

三浦 明也

橋川 公一

根岸 新吾

白川 力也

丹野 貴博

長瀬 仁

出水田 知哉

加藤 賢二

土屋 嘉誉

滝田 有紀

水野 栄介

杉田 大明

大原 三佐子

平 裕太

水野 研吾

森本 哲博

小沢 なつき